たばともデータ
2023年5月11日に中西太氏が亡くなられました。2019年8月28日に取り上げましたのをそのまま上げています。ご冥福をお祈りします。
今回、中西太の選手別アベック本塁打数を調べてみました。
中西太・選手別アベック本塁打数
1位は豊田泰光との28回、2位は関口清治との21回と、V3時代に同僚だった2人が上位。
1952~1956年の一覧は、こちらで
中西太、全本塁打一覧(前編・1952~1956)
1957~1969年の一覧は、こちらで
中西太、全本塁打一覧(後編・1957~1969、その他)
チーム別&球場別本塁打数は、こちらで
中西太、チーム別&球場別本塁打数
投手別本塁打数は、こちらで
中西太、投手別本塁打数
間違い等指摘事項ございましたらコメント欄へお願いします。
バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た|本塁打大全
これまでのバックナンバー・な~わ|本塁打大全
全登板成績バックナンバー あ・か行
全登板成績バックナンバー さ~な行
全登板成績バックナンバー は~わ行
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1990
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 2007~2022
私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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独立リーグの現状と未来を取材やデータ、インタビューでまとめたまさに教科書足るべき一冊
野球雲11号~大映スターズ血風録~1946-1957消えた星影を追って…傍流球団奮闘記
4年半ぶりの出版となった第11号、今回はゴールドスターから大映スターズまで12年の歴史を追っています。私も記録監修で協力をしています。
別特集では千葉ロッテマリーンズとなってからの30年を振り返っています。
野球伝説劇場「野球雲」・・・長嶋茂雄が新しい!野球の歴史を楽しもう。
少年野球からプロ野球、野球史まで重箱の隅をつつくようなネタを書き続けています。野球史をメインに文科系野球を楽しむブログで、私も協力しています。
野球雲チャンネル
上記「野球雲」のYoutubeチャンネルで、こちらも野球に関して考察あり、フリートークありのチャンネル。古野球マニアの秘密結社「昭和二十年代野球倶楽部」とのコラボでは、様々な野球トークを展開、私も加わっています。
昭和二十年代野球倶楽部web
1位は豊田泰光との28回、2位は関口清治との21回と、V3時代に同僚だった2人が上位。
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4年半ぶりの出版となった第11号、今回はゴールドスターから大映スターズまで12年の歴史を追っています。私も記録監修で協力をしています。
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昭和二十年代野球倶楽部web
ラビットボールが姿を消し、南海を中心に機動力野球が席巻する中、三原監督は飛ばないボールに逆らうように本塁打攻勢で他球団にアドバンテージを付けリーグ優勝を目指したのでしょう。
中西・豊田・大下・関口・高倉という強力打線の破壊力が1953~1955年のアベックホームラン数に現れてます。
西鉄の流線型打線と言えば、3連覇の黄金期に火を吹き、他球団のエース投手を粉砕したと伝えられますが最多得点は1954~1955年までで、1956年からの3連覇では寧ろ南海が最多得点でした。
本塁打によるアドバンテージを持ってしてもエースを打ててもチームの総合得点では南海や大毎を上回るのは難しかったようです。
稲尾が入団した1956年からチーム防御率が3年連続1位ですし、打線以上に投手力主体のチームで彼の力が大きかったようです。