たばともデータ
2021年6月30日に大島康徳氏が亡くなられました。2017年2月9日に取り上げましたのを加筆して再び上げています。ご冥福をお祈りします。
先日、大島康徳さんががんを患っていることを告白されていました。病よ飛んでけとばかりに、今回応援の意味を込めて全本塁打一覧を2回に分けて見てみます。
1971年から82年まで。
第一号はヤクルト・石岡康三からプロ入り4打席目での2ラン本塁打。この時の試合は、序盤から点を取り合って2対2で迎えた7回表ヤクルトの攻撃で、4回から登板の中日2番手星野仙一が走者2人を出して4番D.ロバーツに中越えの大3ラン本塁打を浴び勝ち越されると、8回表にも2点を追加され万事休すかと思われたが、中日は7回裏1点を返し、9回裏谷沢健一のソロ本塁打、大島の2ラン本塁打で1点差まで詰め寄ったがヤクルトの慎重な継投策の前にここで力尽き、6対7と前日に続いて1点差で敗れた。
第一号の試合、”日本プロ野球記録”サイトから参照
1983~1994年の全本塁打一覧は、こちらで
大島康徳、全本塁打一覧(後編・1983~1994・その他)
チーム別&球場別本塁打数は、こちらで
大島康徳、チーム別&球場別&選手別アベックHR数
投手別本塁打数は、こちらで
大島康徳、投手別本塁打数
バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た|本塁打大全
これまでのバックナンバー・な~わ|本塁打大全
全登板成績バックナンバー あ・か行
全登板成績バックナンバー さ~な行
全登板成績バックナンバー は~わ行
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1986、2007~2020
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野球伝説劇場「野球雲」・・・長嶋茂雄が新しい!野球の歴史を楽しもう。
少年野球からプロ野球、野球史まで重箱の隅をつつくようなネタを書き続けています。野球史をメインに文科系野球を楽しむブログで、私も協力しています。
野球雲チャンネル
上記「野球雲」のYoutubeチャンネルで、こちらも野球に関して考察あり、フリートークありのチャンネル。古野球マニアの秘密結社「昭和二十年代野球倶楽部」とのコラボでは、様々な野球トークを展開、私も加わっています。
野球雲チャンネルの動画アーカイブ
昭和二十年代野球倶楽部web
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球数制限 野球の未来が危ない!
夏の高校野球・地方大会でも注目を浴びた投手起用の問題。球数制限という提言から様々な問題を顕在化し、未来への野球の在り方を探る著者渾身の力を込めた一冊
第一号はヤクルト・石岡康三からプロ入り4打席目での2ラン本塁打。この時の試合は、序盤から点を取り合って2対2で迎えた7回表ヤクルトの攻撃で、4回から登板の中日2番手星野仙一が走者2人を出して4番D.ロバーツに中越えの大3ラン本塁打を浴び勝ち越されると、8回表にも2点を追加され万事休すかと思われたが、中日は7回裏1点を返し、9回裏谷沢健一のソロ本塁打、大島の2ラン本塁打で1点差まで詰め寄ったがヤクルトの慎重な継投策の前にここで力尽き、6対7と前日に続いて1点差で敗れた。
第一号の試合、”日本プロ野球記録”サイトから参照
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球数制限 野球の未来が危ない!
夏の高校野球・地方大会でも注目を浴びた投手起用の問題。球数制限という提言から様々な問題を顕在化し、未来への野球の在り方を探る著者渾身の力を込めた一冊
1977年は5月まで3本だったが、6月以降24本を打って三塁手としてレギュラー定着。1978年は前半戦僅か4本の大スランプで、1979年も開幕15試合目で初本塁打と出遅れたが最後は残り25試合12本の固め打ちで36本塁打。この年はアキレス腱故障で長期離脱した谷沢の代役一塁手として、衰えが目立つようになった王を上回る自己最高の打撃成績をマークしています。
勢いづくと止まらないがレギュラーになってからも調子の波が大きく、外野から転向した三塁守備は素人目にも不慣れで危なっかしいのが大島の特徴でしたね。さすがにこれではと1982年からは左翼手に再転向したが、後釜のモッカの三塁守備は大島よりも更にスリリング?でした。