カルビー プロ野球カード 打撃戦シリーズ 767 [広島] 池谷 公二郎




tabatomoたばともデータ


リクエストにお応えします。
チームは前年リーグ優勝から3位へと順位を落としたが、18勝から20勝へ勝ち星を伸ばし最多勝のタイトルを獲得した1976年池谷公二郎の全登板成績を見てみます。
とろすけさんのリクエストにお応えしています。数表をじっくりご覧下さい。(ホールドは現在のルールで当てはめてつけています)
1976ikegayakoojiro

開幕から3連敗と負けが先行したものの、ゴールデンウィーク辺りから勝ち星が増え始め5月26日巨人戦での勝利からリリーフ登板も含め9連勝を記録、オールスターにも2年連続で選出された。後半戦も滑り出しは上々で20勝達成は目前だったが、8月14日中日戦での敗戦から足踏みし、リリーフでセーブを記録するも先発では勝ち星がつかず8連敗を記録。9月23日ヤクルト戦で完封勝利を上げて連敗をストップ、10月17日中日戦第一試合で20勝を達成し最多勝のタイトルを獲得した。

先評欄の数字ゲームスコアは、セイバーメトリクスでおなじみビル・ジェームズ氏が考案し、先発投手の投球内容をポイント化したものです。
本来は四球のみを計算しますが、四死球合わせて計算しています、ご注意ください。

詳しいルールはこちらで
ゲームスコア ウィキペディアより
ゲームスコア 英語版ウィキペディアより

勝敗欄の   は勝ち試合   は負け試合   は引き分け試合を表しています。
先評欄での   はHQSを達成、   はQSを達成したことを表しています。
この欄の一番下の数字は合計ではなく、平均を表示しています。

こちらも参照いただければ
1976年のセ・リーグ投手陣

全登板成績・他のシーズン投手成績バックナンバーはこちらで
全登板成績バックナンバー あ~た

全登板成績バックナンバー な~わ

チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969

チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1982、2015

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本塁打大全バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た|本塁打大全

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 コメント一覧 (3)

    • 1. とろすけ
    • 2016年05月18日 20:06
    • 5 たばとも様
      リクエストに応えていただきありがとうございました。
      この年の池谷は、開幕3連敗の後、8月8日まで16勝2敗でしたが、その直後8連敗する等、非常に好不調の波が激しいシーズンですね。
      8月18日の巨人戦で5回KOされた翌日にリリーフで6回2/3投球する等、8月以降酷使の傾向が強まり、9月1日以降チームが1引分を含め11連敗を喫して優勝の可能性がほとんどなくなった後にも3度連投を記録し、リリーフで2敗を喫しています。
      せめて9月以降だけでもこのような無茶な起用を控えていたら、この年の数字が上昇しただけでなく、池谷の投手寿命も長くなったのでは・・・と感じます。
      7月6日の巨人戦は700本塁打に王手をかけた王に対し真っ向から勝負し、2塁打を含む2安打を浴びながら本塁打を喫しなかったのは印象に残っています。
      また池谷は、この翌年に48被本塁打の日本記録を残した非常に被本塁打の多い投手ですが、この年の前半戦の被本塁打はわずか10本です。本当に意外でした。
    • 2. たばとも
    • 2016年05月19日 13:47
    • とろすけさん

      成績を見ると、25勝くらいしてもおかしくないですね。
      チームが連敗した時期に勝てなかったのが不運でしたね。
    • 3. カナブン
    • 2016年05月19日 20:44
    • この年から一気に打撃戦中心になったセ・リーグ。7月まで好投を続けた池谷も8月以降は5失点以上が5回と被害が増えていますが、あの打高状況でも51試合300イニング近く登板したタフさは特筆ものです。終盤失速した広島の勝率5割確保と小林との最多勝争いで9月以降は17試合登板と更に過酷な登板になっていて、まさに執念で獲得した最多勝と20勝ですね。優勝した巨人にも6勝3敗と奮戦しています。

      初優勝前後の広島は一時代前のような特定の投手のフル稼働が目立ちますが、2年後の江夏加入以降は一変。70年代後半以降の打高状況は投手分業制を急ピッチで促進させたようです。

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