たばともデータ
J.シピンの全本塁打一覧を見てみます。
1972年から80年まで。
第一号は巨人・堀内恒夫からプロ入り46打席目での2ラン本塁打。この時の試合は、1回表からプロ初先発の大洋・鵜沢達雄に襲い掛かり高田繁四球、柴田勲凡退の後、王貞治が右翼へ2ラン本塁打を放ち先制。さらに長嶋茂雄も二塁打で鵜沢をKO。2番手佐藤元彦からも2回表森昌彦のソロ本塁打、3回表末次民夫が3ラン本塁打で0対6と前半で勝負を決めた。巨人先発・堀内恒夫から7回裏シピンが2ラン本塁打を放つも得点はこの2点のみで、後は堀内に抑えられ2対8と敗れた。
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コメント一覧 (6)
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- 2016年05月07日 21:01
- 210本目の中日・藤沢からのホームランはナゴヤ球場で生で見ました。
1回1死1.2塁から王が流し打ちで二塁打、ホワイトが犠飛を放った後、カウントは忘れましたが、とても大きな当たりでナゴヤ球場の左翼最上段の看板を直撃したと記憶しています。
この年のシピンは開幕から非常に調子が悪く、このホームランには正直驚きました。
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- 2016年05月07日 22:41
- 本塁打狙いの一発屋というよりはコンスタントに3割30本前後を残す安定した打撃が目立ちますが、来日初年の1972年7月は20試合で10本、1973年5月は17試合で11本と本塁打の固め打ちを披露していますね。1975年は不振だった王を上回る34本をマークしています。
性格に難があってその歯止めになっていたボイヤーの退団後は手に負えない存在になってしまったのが大洋のシピン放出の理由だったそうですが、後釜二塁手のミヤーンはシピンとは対照的な野球職人風のベテラン選手でしたね。
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- 2016年05月19日 11:48
- kazkさん
>>そうなっても盛り過ぎた奴が多かったからそんなに問題にはならなかった
その通りかもしれませんね。シピンの場合は巨人でも活躍して、大洋の場合もミヤーンがタイプが違いながらも穴を感じさせない活躍だったので、シピン盗られて・・・のような感じはなかったでしょう。
損得でいうと損の方が多い気もしますが、どうでしょうか。
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- 2016年05月19日 12:31
- とろすけさん
見た目は細身そうですけれど、よく飛ばしてますね。
巨人時代は内、外野いろいろ守りながら打ってますね。
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- 2016年05月19日 13:00
- カナブンさん
>>ミヤーンはシピンとは対照的な野球職人風のベテラン選手でしたね。
シピンほど長打力はなかったですけど、コツコツとヒットを重ねてましたね。
この頃からだろうか。ジャイアンツが他の球団の実績ある外人を金にあかせて掻っ攫うようになったのは…
まあ、そうなっても盛り過ぎた奴が多かったからそんなに問題にはならなかったのかなあ、という気もするがなんとも言えない気がします。
こういう掻っ攫い取得の損得は記録上どうなのかなあという気もします。