たばともデータ
これまでの酷使により肩を故障、長期間離脱の後翌年に復活。球威は衰えたといわれるも投球術でカバーし13勝をマークした1964・65年稲尾和久の全登板成績を見てみます。
数表をじっくりご覧下さい。(セーブ、ホールドは現在のルールで当てはめてつけています)
1964年はわずか6試合の登板、勝ち星もなく7月15日南海戦で先発KOされたのを最後に一軍から遠ざかった。翌年の5月5日東京戦で復活登板、1カ月後の6月5日東映戦で先発し5回を投げて約1年8か月ぶりの勝利投手に。8月からは勝ち星も増え、9月11日からは勝ち星すべてが完投となる7連勝を飾って13勝6敗1S1HとチームのAクラス入りに貢献した。
先評欄の数字ゲームスコアは、セイバーメトリクスでおなじみビル・ジェームズ氏が考案し、先発投手の投球内容をポイント化したものです。
本来は四球のみを計算しますが、四死球合わせて計算しています、ご注意ください。
詳しいルールはこちらで
ゲームスコア ウィキペディアより
ゲームスコア 英語版ウィキペディアより
勝敗欄の は勝ち試合 は負け試合 は引き分け試合を表しています。
先評欄での はHQSを達成、 はQSを達成したことを表しています。
この欄の一番下の数字は合計ではなく、平均を表示しています。
こちらも参照いただければ
1964年のパ・リーグ投手陣
1965年のパ・リーグ投手陣
先発、救援、二人の稲尾和久
全登板成績・他のシーズン投手成績バックナンバーはこちらで
全登板成績バックナンバー あ~た
全登板成績バックナンバー な~わ
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1982、2015
本塁打大全、全登板成績リクエストこちらから
リクエストお待ちしております。
本塁打大全バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た|本塁打大全
これまでのバックナンバー・な~わ|本塁打大全
野球に関しての様々なブログをご覧いただけます。
私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せ
ください!
↓
広尾晃、渾身の一冊、発売中
日本人の心を掴んだ熱き漢たちの物語をインタビューと独自取材で迫っています。
昔の野球に思いを馳せるのもいかがでしょうか?様々な視点で野球の歴史を掘り起こしています。
私も書いております。
1964年はわずか6試合の登板、勝ち星もなく7月15日南海戦で先発KOされたのを最後に一軍から遠ざかった。翌年の5月5日東京戦で復活登板、1カ月後の6月5日東映戦で先発し5回を投げて約1年8か月ぶりの勝利投手に。8月からは勝ち星も増え、9月11日からは勝ち星すべてが完投となる7連勝を飾って13勝6敗1S1HとチームのAクラス入りに貢献した。
先評欄の数字ゲームスコアは、セイバーメトリクスでおなじみビル・ジェームズ氏が考案し、先発投手の投球内容をポイント化したものです。
本来は四球のみを計算しますが、四死球合わせて計算しています、ご注意ください。
詳しいルールはこちらで
ゲームスコア ウィキペディアより
ゲームスコア 英語版ウィキペディアより
勝敗欄の は勝ち試合 は負け試合 は引き分け試合を表しています。
先評欄での はHQSを達成、 はQSを達成したことを表しています。
この欄の一番下の数字は合計ではなく、平均を表示しています。
こちらも参照いただければ
1964年のパ・リーグ投手陣
1965年のパ・リーグ投手陣
先発、救援、二人の稲尾和久
全登板成績・他のシーズン投手成績バックナンバーはこちらで
全登板成績バックナンバー あ~た
全登板成績バックナンバー な~わ
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1982、2015
本塁打大全、全登板成績リクエストこちらから
リクエストお待ちしております。
本塁打大全バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た|本塁打大全
これまでのバックナンバー・な~わ|本塁打大全
野球に関しての様々なブログをご覧いただけます。
私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せ
ください!
↓
広尾晃、渾身の一冊、発売中
日本人の心を掴んだ熱き漢たちの物語をインタビューと独自取材で迫っています。
昔の野球に思いを馳せるのもいかがでしょうか?様々な視点で野球の歴史を掘り起こしています。
私も書いております。
もはや限界を思わせる内容だったのが、後半戦は一転して21試合登板12勝3敗防御率1.57。奪三振数は低調なままですが、勝利数と防御率は全盛期に近い数字を挙げているのは驚きです。奪三振ゼロの完投が1試合、被安打10本以上が4試合ありますが、いずれも3失点に抑えているのは投球術の巧みさを感じます。
本人によると深刻な肩の故障から再起した1965年のシーズンは最も感慨深いものがあって、残り4年間の現役生活はもうおまけみたいなものだったそうですね。