たばともデータ
西鉄・太平洋を含め4球団で活躍、主に遊撃手として一時は守備率がリーグ新記録となった梅田邦三の全本塁打一覧を見てみます。
1973年から74年まで。(一軍出場年の1970~72、75~80年は本塁打なし)
第一号は近鉄・仲根正広からのソロ本塁打。この時の試合は、1対1の同点で迎えた5回裏梅田が勝ち越しのソロ本塁打、6回表同点に追いつかれたものの、その裏一死満塁から代打高木喬が左前へのゴロ(二塁走者竹之内雅史が三封された)で勝ち越し。7回裏には基満男の2ラン本塁打などで追加点をあげ、投げては先発石井茂雄が5安打無四球1失点の完投勝利で、6対2と最下位近鉄に勝利した。
なおこの梅田の本塁打は、当初プロ野球通算3万号の本塁打とされていて、この事を讀賣新聞上では
「プロ入り初ホーマーが”通算三万号”と聞かされて、当の梅田が照れていた。『そんな大げさなことをぼくがやったんですか。恥ずかしい』という。打った瞬間、まさか入るとは思わず『まるで他人の打球みたい』によく飛んだそうだ。”打たれた投手”で名を残すことになった近鉄・仲根は、試合前から記念号のことを知っており『ぼくが打ちたい』と思っていたのに、話は逆。」と書かれていた。
しかし宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑」によると、再集計をしたところ1939年タイガースのチーム本塁打が当時33本と発表されていたものが32本であったことが1976年に明らかにされ、先の試合で7回裏に2ラン本塁打を放った基満男の一打が3万号本塁打になると訂正された。
また打たれた仲根は、1985年4月23日にプロ野球通算5万号の本塁打を放っている。
本塁打大全リクエストこちらから
本塁打大全リクエスト、引き続き募集しております。
バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た
これまでのバックナンバー・な~わ
全登板成績バックナンバー あ~た
全登板成績バックナンバー な~わ
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1979
私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
広尾晃、3冊目の本が出ました。
第一号は近鉄・仲根正広からのソロ本塁打。この時の試合は、1対1の同点で迎えた5回裏梅田が勝ち越しのソロ本塁打、6回表同点に追いつかれたものの、その裏一死満塁から代打高木喬が左前へのゴロ(二塁走者竹之内雅史が三封された)で勝ち越し。7回裏には基満男の2ラン本塁打などで追加点をあげ、投げては先発石井茂雄が5安打無四球1失点の完投勝利で、6対2と最下位近鉄に勝利した。
なおこの梅田の本塁打は、当初プロ野球通算3万号の本塁打とされていて、この事を讀賣新聞上では
「プロ入り初ホーマーが”通算三万号”と聞かされて、当の梅田が照れていた。『そんな大げさなことをぼくがやったんですか。恥ずかしい』という。打った瞬間、まさか入るとは思わず『まるで他人の打球みたい』によく飛んだそうだ。”打たれた投手”で名を残すことになった近鉄・仲根は、試合前から記念号のことを知っており『ぼくが打ちたい』と思っていたのに、話は逆。」と書かれていた。
しかし宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑」によると、再集計をしたところ1939年タイガースのチーム本塁打が当時33本と発表されていたものが32本であったことが1976年に明らかにされ、先の試合で7回裏に2ラン本塁打を放った基満男の一打が3万号本塁打になると訂正された。
また打たれた仲根は、1985年4月23日にプロ野球通算5万号の本塁打を放っている。
本塁打大全リクエストこちらから
本塁打大全リクエスト、引き続き募集しております。
バックナンバーはこちらで
これまでのバックナンバー・あ~た
これまでのバックナンバー・な~わ
全登板成績バックナンバー あ~た
全登板成績バックナンバー な~わ
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1955~1969
チーム別シーズン投手成績バックナンバー 1970~1979
私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
広尾晃、3冊目の本が出ました。
記録大鑑ではなく報知の1面を飾ったのが最初でした。