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2021年3月3日に三宅伸和(秀史)氏が亡くなられました。2014年8月18日に取り上げましたのを加筆して上げています。ご冥福をお祈りします。

三宅伸和(秀史)の全本塁打一覧を見てみます。
1953年から64年まで。(一軍出場年の1965~67年は本塁打なし、1953~1965は三宅秀史)
※ダブル欄の①、②は第一、第二試合で同一カード・先攻・後攻も同じ通常のダブルヘッダー、△1、△2は第一、第二試合で対戦カードが違うまたは、同一カードで先攻・後攻が違うことでの変則ダブルヘッダー。
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第一号は広島・川本徳三からプロ入り53打席目での3ラン本塁打。この時の試合は、1対1の同点から2回裏一挙7点をあげ勝負ありかと思わせたが、広島はじわじわと反撃し小鶴誠の本塁打などで6回表に8対7と1点差まで追い上げられたが、その裏三宅の3ラン本塁打で3点を追加しこれで勝負は決まり、後の回の広島打線を3番手の渡辺省三がピシャリと抑え11対7で広島を振り切った。

第一号の試合、”日本プロ野球記録”サイトから参照

1958年6月13日対中日戦、2回裏満塁から吉田義男の2点タイムリー安打、田宮謙次郎のタイムリー安打で3点を先制、7回裏も失策で得点し勝利が見えた所だったが、8回表西沢道夫の犠飛、杉山悟の通算200号となるソロ本塁打で2点差に。9回表に井上登のタイムリー二塁打、中利夫のタイムリー安打で同点に追いつかれ延長戦へ。延長戦では阪神3番手中村和臣、中日5番手大矢根博臣の投げ合いとなったが、11回裏三宅が左翼へと伸びる値千金のサヨナラ本塁打。5対4と最後の最後で中日を突き放した。

打順別の表
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3番での本塁打が一番多く、1958年には全打順での本塁打を記録した。

こちらもご参照を
三宅伸和、チーム別&投手別&球場別本塁打数

三宅秀史、死去

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