1巻だけで終わった「プロ野球記録大全集」などの資料に加え、他の文献やWEBも参考にして澤村榮治の公式戦の戦績を一覧にしてみた。ご異論はあるだろうが、まず作ってみないことには。
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草創年の春シーズン、巨人は4月、5月はアメリカ遠征のため欠場。7月の東京トーナメント大会から参加、澤村は記念すべき第一戦で先発しているが負け投手になっている。
敗者復活戦の2戦目でも先発するがまた負け投手。
あまりよい滑り出しではなかった。
しかし秋シーズンには大エースになり、先発した10試合はすべて完投。9月25日のタイガース戦では1度目のノーヒットノーランを記録している。

37年春シーズンが沢村の絶頂期。2度目のノーヒットノーランの他、24完投7完封。まさに抜群の投球だった。
しかし秋シーズンは、先発してもなかなか勝てなくなる。春に56試合で30登板した疲労が蓄積したか、20試合の登板にとどまり、9勝6敗。15勝7敗のスタルヒンにエースの座を奪われる。
この後一度目の応召。

1940年に復帰するが、往時の力はもはやなかった。四球の方が多いという記録に衰えが表れている。
しかし7月6日(今日だ!)、3度目のノーヒットノーランを名古屋軍に対し記録。三振0と言うのが異様だ。
翌年も投げる。前年よりも少しましだが、全盛期の成績とはほど遠い。ただ7月3日から成績が急上昇している。
8月10日と17日に合わせて34回を投げる。選手層が薄くなったこともあろうが、無茶なことをするものだ。
この後二度目の応召。

すでに太平洋戦争が始まった1943年に復帰するが、もはや澤村は往時の投手とは別人。ストライクが入らなかった。サイドスローに転向していたとの話もある。
この年、巨人を解雇され、その後三度目の応召、帰らぬ人となったのだ。

奇しくも最後の登板も7月6日だった。

こうしてみると、二つの応召が無ければ、澤村はスタルヒン(戦前197勝61敗)、野口二郎(戦前156勝71敗)に迫る成績を上げていたことだろう。

良い酒の肴である。


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