たばともデータ
1978年のパ・リーグ投手陣のリリーフ投手を少し詳しく見てみます。
注意点
・与球(BHB)は、四球+死球の値です。よって投球回あたり与四球・被安打数合計(WHIP)は与四死球として計算しています。
・Team Totalsの自責点(ER)は、各投手の自責点を合計した値です。
・防御率(ERA)は、現在の計算式を使っています。
・チーム防御率(ERA)は、Team Totalsの自責点(ER)を使って計算しています。
・ここで載せている勝ち投手、負け投手は基本的に当時発表されたものを動かさず、それをもとに私がホールドをつけています。
1976年から、だいたい現在のセーブルールに近い形になっています。
ただし、この年から1997年まで「3連続本塁打で同点または逆転の状況時で登板し、1イニング以上の投球」で
セーブが記録される内規がありました。
この場合の状況は
ランナー1人 → 4点リード&1イニング以上の投球
ランナー2人 → 5点リード&1イニング以上の投球
ランナー満塁 → 6点リード&1イニング以上の投球
これらの条件で登板しても、現在ではセーブがつきません。
よってここでは、上記の条件に該当するセーブをもらった投手のセーブ記録から1つ引いて表示しています。
(今回のパはありませんでした)
パ・リーグリリーフ投手少し詳細に
登板数順の上位10傑
イニング数の上位10傑
セーブポイント(現在は廃止、リリーフ勝利+セーブ)数の上位10傑
簡易版・先発詳細版はこちらで
簡易版 先発詳細版
同年セ・リーグのリリーフ詳細版はこちらで
1978年のセ・リーグ投手陣 リリーフ詳細版
前年・翌年のセ・リーグリリーフ詳細版はこちらで
1977年リリーフ詳細版 1979年リリーフ詳細版
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私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
広尾さんの書かれた本が発売中です。ぜひご覧を!
・与球(BHB)は、四球+死球の値です。よって投球回あたり与四球・被安打数合計(WHIP)は与四死球として計算しています。
・Team Totalsの自責点(ER)は、各投手の自責点を合計した値です。
・防御率(ERA)は、現在の計算式を使っています。
・チーム防御率(ERA)は、Team Totalsの自責点(ER)を使って計算しています。
・ここで載せている勝ち投手、負け投手は基本的に当時発表されたものを動かさず、それをもとに私がホールドをつけています。
1976年から、だいたい現在のセーブルールに近い形になっています。
ただし、この年から1997年まで「3連続本塁打で同点または逆転の状況時で登板し、1イニング以上の投球」で
セーブが記録される内規がありました。
この場合の状況は
ランナー1人 → 4点リード&1イニング以上の投球
ランナー2人 → 5点リード&1イニング以上の投球
ランナー満塁 → 6点リード&1イニング以上の投球
これらの条件で登板しても、現在ではセーブがつきません。
よってここでは、上記の条件に該当するセーブをもらった投手のセーブ記録から1つ引いて表示しています。
(今回のパはありませんでした)
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小生は1977年から82年位までの間に投手陣の間で静かな革命が起こったと考えています。この時期に完全分業制が確立したといえるわけで先発がリリーフに回ることは調整登板のような場合以外は殆どなくなったと言えますよね。
江夏が日本のクローザーの祖というつもりは全くありませんが、おそらく大野との連携で中継ぎ、クローザーという使い方が確立されたのは間違いなくこの時だという気がします。
個人的には江夏の78年79年の記録を見てみたことがあります。
78年は広島も江夏を獲得したものの使い方が試行錯誤といった感じですよね。昔の主戦投手のリリーフ起用法に引っ張られていたような気がします。
79年から後になってようやく勝ち試合は江夏に任せるというパターンが出来、大野の成長と相まって大野と江夏で方をつけるというやり方が確立した気がします。
小生はこれにより初めてローテーションというものが確立されてきたのではないかという仮説を持っています。山陽新幹線の開通が75年位だったはずですがこれで移動日が減り広島は楽になるとともに分業制の確立が先発投手を楽にしたと思ってます。
小生は後ろがしっかりしたことで先発の投球回数は増えたのではないかと思ってます。78年位を見てみると予想外に防御率が悪いのですが、この後は少し改善するのではないでしょうか。
この後たしか横浜球場を始めとして球場の大型化が進むのですよね。ドーム球場による雨中止の減少と相まって始めて今の野球になたのだと思ってます。