伊藤智仁は京都花園高校から三菱自工京都を経て92年ドラフト1位でヤクルトに入った。ヤクルト、広島、オリックスの3球団での抽選を経ての入団だった。
この年のドラフトの目玉は星陵高校の松井秀喜と伊藤だった。

同期には真中満、菊地原毅、小池秀郎、豊田清、佐伯貴弘らがいる。同学年には谷繁元信、宮本慎也、赤堀基之、江藤智ら。チームメイトの宮本とは誕生日が6日違いだった。

オリンピックでの活躍もあり、ノンプロ時代から即戦力として高く評価されていた。
野村克也監督は1993年4月20日の神宮球場での阪神4回戦で伊藤を先発投手としてデビューさせた。
以下、戦績

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デビューの試合、神宮は36000人の満員。伊藤は8安打を打たれたがオマリーを無安打2三振に切って取るなど7回を2自責点で投げ初勝利を挙げている。

以後、野村監督は救援登板も含めてテスト的に起用していたが、5月16日からはローテに組み入れた。

伊藤は150km/h超の速球と「真横にスライドする」と言われたスライダーで、大活躍をした。

6月9日の巨人戦では9回2死まで16奪三振。しかし150球目を篠塚にサヨナラ本塁打を打たれた。
こういう劇的な投球が多かったのも特徴だ。

7月4日まで、14試合に登板して109回を投げERAは0.91。

SO9は10.40、被打率は.164、WHIPは0.96だった。

しかし、伊藤はひじ痛によって戦線離脱。ルーズショルダーも発症して投げられなくなった。
伊藤はここまでの成績で新人王を獲得した。

以後、復活した時期もあったが、デビュー時の凄い投球は戻らなかった。

戦績を見ると9回以上を投げた試合が3回もある。
野村監督はヤクルト監督に就任して4年目、58歳。前年チームを優勝に導いたが、将来を考える余裕はなく、目先の勝利に飢えていたのだろう。

後年、野村監督は「伊藤には悪いことをした」と言っていたようだが、球界の損失だといってよいだろう。

僅か75日の「全盛期」。こうしてみると、かけがえのない記録のように思える。


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