
2014年2月7日に取り上げましたのを加筆して再び上げています。
では森徹の全本塁打を見てみます。
1958年から67年まで。(1968年は本塁打なし)
※ダブル欄の①、②は第一、第二試合で同一カード・先攻・後攻も同じ通常のダブルヘッダー、△1、△2は第一、第二試合で対戦カードが違うまたは、同一カードで先攻・後攻が違うことでの変則ダブルヘッダー。

※2016/10/29訂正 1962/5/20・広島戦ダブルヘッダーの球場 広島→川崎
第一号は、開幕戦で広島・長谷川良平から。100号目の本塁打も長谷川から記録している。
大洋時代の1962年6月30日には、六大学でも戦っている巨人・藤田元司からこの日唯一の得点となる
サヨナラ本塁打を放っている。
東京時代には、南海・三浦からサヨナラ3ラン、西鉄・稲尾からサヨナラ2ランを放っている。
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※ダブル欄の①、②は第一、第二試合で同一カード・先攻・後攻も同じ通常のダブルヘッダー、△1、△2は第一、第二試合で対戦カードが違うまたは、同一カードで先攻・後攻が違うことでの変則ダブルヘッダー。

※2016/10/29訂正 1962/5/20・広島戦ダブルヘッダーの球場 広島→川崎
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大洋時代の1962年6月30日には、六大学でも戦っている巨人・藤田元司からこの日唯一の得点となる
サヨナラ本塁打を放っている。
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中日在籍時 大洋在籍時 東京在籍時
1958年 3本→20本 1962年 10本→12本 1966年 9本→8本
1959年 10本→21本 1963年 9本→15本 1967年 8本→2本
1960年 11本→10本 1964年 9本→ 6本
1961年 4本→ 9本 1965年 7本→ 6本
現役時代前半は他の選手達が疲れてくる?後半戦になると本塁打が急増する典型的な追い込み型ですね。一方で現役時代後半は得意だった後半戦の爆発力の低下が本塁打数の減少につながっています。
1964年までは毎年安定した出場数で頑健さを発揮していたのが、翌年以降は欠場が目立つようにも。長打率は若干の低下に留まっているので、体調が維持出来なくなってきたことが成績低下の要因だったようですね。