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脱税事件以後、関西、関東のテレビから締め出しを食らっている板東英二である。
もうじき、この人が人気タレントだったことも記憶の彼方になるかもしれない。ましてや、中日ドラゴンズの名投手であったことなど、誰も知らない時代が来るだろう。
板東英二の先発、救援での投手成績。

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徳島商業時代、夏の甲子園、第40回記念大会準優勝投手。準々決勝、対魚津高戦で延長18回引分け再試合。村椿輝雄との投げ合いは日本中を熱狂させた。この大会奪三振83個は、一大会における通算奪三振最多記録。
王貞治、張本勲と並ぶ有望選手として中日に入団。
先発投手としてそれなりに活躍するも、王や張本の活躍に比べれば見劣りがした。

62年以降は成績が下落。消え去るかと思われたが、65年から救援投手として再生した。この年は「8時半の男」宮田征典が大活躍したため目立たなかったが、翌年から2年、今の解釈でいえばリーグ最多の24、21SPを記録した。

もちろん、注目されることは無かったが、板東英二の成功が、星野仙一、鈴木孝政と続く中日の「救援投手の系譜」のもとになったと思われる。


そういう意味では、初期の名救援投手として記憶にとどめるべき選手だと思われる。



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