tabatomoたばともさんデータ

1955年のパリーグ救援投手陣から。

1955-PL-RP


tabatomo

今回の1955年も1956年同様、奪三振・与四死球・自責点・QSの項目を掲載していません。

ここで載せている勝ち投手、負け投手は基本的に当時発表されたものを動かさずに

それをもとにセーブ・ホールドをつけていますが、この年は現在と違う勝ち投手を決めるルールがあり

そのルールとは(宇佐美徹也著、プロ野球記録大鑑より)

 

①「先発で5回投げていなくても、記録員が効果的な投球をしたと認めた場合には、例外として

その投手に勝ちを与えてもよい」

 

今回①に該当する例はないが、現在だと勝ちがつかない例が1例あり

以下のように勝ち投手を変更して記録する。

 

巨人・中尾→○別所

新聞では、中尾から代わった別所の暴投から一旦振り出しにもどったとあり、

その後巨人が逆転しているので、今だと別所が勝ち投手になる。

 

また3例に関してセーブ・ホールドかどうかわからないものがあった。該当選手は

 

ホールドかどうか不明  阪神・栄屋、阪神・大崎、大映・飯尾

 

 

 

1955年は稲尾、杉浦、土橋らビッグネームがデビューする前。実に地味な顔ぶれだ。この頃は球団の観客動員は年間20万程度、1試合3000人ほど。今の独立リーグより少し多い程度だったのだ。

 

表の中ごろにはスタルヒンがいる。

 

戸川一郎は柳井高校から入って2年目、キャリアハイの年だ。通算では33勝。

西村貞朗は琴平高校を出て3年目、前年22勝、稲尾の前の西鉄のエースだった。この選手も盛りは短く、57年以降は不振に陥り、82勝でキャリアを終えている。

宅和本司は、ラジオの解説者としてなじみがあった。門司東高校を出て2年目、前年とこの年で先発救援併せて50勝するが、以後は1勝もできず。すごいキャリアである。

 

こうしてみると当時のパリーグは使える投手を酷使するのが常套手段になっていたようだ。

 


 


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!


『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。


「読む野球-9回勝負- NO.2」私も書いております。



広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。