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1956年のパリーグ。稲尾和久、米田哲也、小野正一ら好投手のデビュー年として記憶される。
1956-PL


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ルーキーの稲尾は先発投手としては4番手、そして抑えではエースだった。同じルーキーの畑隆幸も先発で使われた。作家畑正憲の従弟だ。

南海投手陣はエース不在。野母、田沢、小畑、皆川らが先発、救援を掛け持ちしながら勝ち星を稼いだ。

阪急も地味な顔ぶれ。種田弘はこの年がキャリアハイ。米田もこの年新人。米梶がフル回転するのは翌年からのことだ。



毎日もエース不在。小野正一もこの年デビュー。一昨日も述べたとおり、荒巻は24勝したが救援投手だったのだ。

近鉄は武智がエース、関根潤三がこれに次ぐ。30歳の関根は翌年から打者に転向した。

東映は米川、富永が先発登板数は多いが一桁勝利。格となる投手がいない状態。

大映は三浦方義がチーム勝ち星57勝の半分以上の29勝を挙げて最多勝。巨人時代は0勝だったが移籍していきなりのタイトル。パの最多勝記録でもあった。下位に低迷する球団からの快挙。一種の奇観だ。

そして高橋。二けた勝利は伊藤四郎だけ。三浦同様「頼れる投手は伊藤だけ」と言う状態だったのだ。

パリーグは先発と救援の投手数がほぼ同数と言うチームが多い。「投げられる投手がとにかく投げる」と言う状態だったのだ。

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