たばともさんデータ
たばともさんの投手陣のデータは、一気に20年さかのぼる。1956年のNPB投手陣を見ていこう。まさに本邦初公開。
たばともさんデータ
今回の1956年は、奪三振・与四死球・自責点・QSの項目を掲載していません。
ここで載せている勝ち投手、負け投手は基本的に当時発表されたものを動かさずにそれをもとにセーブ・ホールドをつけていますが、この年は現在と違う勝ち投手を決めるルールがありそのルールとは(宇佐美徹也著、プロ野球記録大鑑より)
①「先発で5回投げていなくても、記録員が効果的な投球をしたと認めた場合には、例外としてその投手に勝ちを与えてもよい」
②「リリーフ投手が同じ回に2人以上出た場合、第1、第2アウトをとった投手がその裏の得点をもらえる」
例:2013年ヤクルト対広島5回戦(神宮)
ヤクルト7番手H大場2/3回、8番手○久古1/3回
ヤクルトが12回裏1点をとりサヨナラ勝ちし、上記は12回表を投げていた投手だが現在では、3アウト目をとった投手(ここでは久古)が裏の得点をもらい勝ち投手だが②のルールでは、勝ち投手は第1、第2アウトをとった大場が勝ち投手になる。
今回①に該当する例はないが、②に該当するのが7例あり、以下6例に関しては以下のように勝ち投手を変更して記録する。
巨人・安原→○義原、毎日・中西→○中川、阪急・米田→○梶本、種田→○梶本
高橋・宮崎→○中野、南海・富島→○小畑
あと1例は、変更された投手に現在だとホールドが記録される。
南海・H長光→○戸川
また4例に関してセーブ・ホールドかどうかわからないものがあった。該当選手は
セーブかどうか不明 広島・大田垣、大映・太田
ホールドかどうか不明 国鉄・田代、広島・高橋
あと調査が完全でないもの
広島・大田垣、大洋・秋山の被安打数がそれぞれ1少ない。
65年から76年までの記録を見続けて、一気に20年前の記録を見ると、野球の質が大幅に変わったことが分かる。
この時代のセリーグは「大投手の時代」。 救援投手のトップは、阪神の小山正明、続いて国鉄の金田正一。
金田は救援で12勝。平均投球回数は3回を超す。これは、先発投手が投げて打たれると、5回を待たずに出て行ってロングリリーフをしたからだ。先発の合間にこういう救援をしていたのだ。
小山正明も同様。ただ、この年、金田も小山も救援の方が多かった。これは意外なことだった。
登板数3位の橋本敬包は、2年目。この投手はほぼ救援専門だった。しかしトータルで10勝。 北畑利雄は、橋本同様、救援投手。 こういう無名の救援投手はセーブや勝利機会はほとんどなく、敗戦処理や大差が開いた試合で投げていた。
大崎三男は当時、阪神のエース。救援でも小山に次ぐ登板数を投げている。
セーブが多くついているのは先発との掛け持ち投手。そうでない投手は救援専業とざっくり分類できそうである。
下位には若き日の国松彰の名前もある。
こうした投手陣が時代とともにどう変貌するのか、じっくり見ていきたい。
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やはりお願いしてみるもんですね。知りたいデータがごっそりですね。
小生は1960年以前の大投手たちのかなりの部分はリリーフで勝ち星を稼いでいたはずだという仮説を持ってます。
そして現在よりも先発の比重は小さかったのではないかとうこともあります。
この年は小山が本格的にブレークする年ですが登板数は59ですから先発は14、完了が39ですから中継ぎが6、成績が17勝13敗でリリーフで9勝8敗25セーブ、先発で8勝5敗、8完投ですから、おそらくリリーフの合間に先発をやり自分の仕事はきっちりやった上で、リリーフエース的な使われ方をしたんでしょうね。
1960年代には基本先発完投形で使われてますから、このような記録は改めて発掘しなければわかりませんよね。こうして見てみるとリリーフは大投手たちの片手間仕事、もしくはブレーク寸前の連中の修業の場だったのでしょうか。
こうして見てみると敗戦処理専門といった無名投手以外で勝ち星を拾ってるのはやはり大投手のみだという気がします。しかし、不思議ですよね。小山と大崎の頑張りにもかかわらず阪神は2位でしょう。今でいうローテーション級のピッチャーをバランスよく回してる巨人お恐ろしさを感じますね。
ただこれでも西鉄にやられるのですから何も言えません。パ・リーグでは稲尾がブレークした年ですね。三原魔術の一端が見れるかもしれません。楽しみです。
以前もお話したかと思うのですがリリーフ失敗はわからないものでしょうかね。この頃の敗戦記録はまず失敗でしょうが、勝ち投手でも先発の価値を潰した例はあるようには思います。
難しいでしょうが出来たら見たいものです。