tabatomoたばともさんデータ

この年は特にセリーグでいろいろなエポックとなるSTATSが見られた。

1975-CL


Mark-New 



初優勝した広島。3本柱が確立されていたことに目が行きがちだが、この年の広島は、先発、救援の役割分担がほぼ完全にできていた。中3日で投げる先発投手、そしてセットアッパーの渡辺、クローザーの宮本と言う勝ちパターンがあったのだ。

中日も先発、救援が分かれていた。松本、三沢、星野仙の3本柱とクローザー鈴木、セットアッパー竹田と言う顔ぶれ。ただし稲葉、星野は掛け持ちに近かった。

阪神は江夏に陰りが見え、古沢、上田、谷村、米田と頭数はいたが傑出した先発がいなかった。救援は安仁屋がロングリリーフ中心に大活躍。しかし安仁屋以外は先発、救援の分化も不明確ではっきりしない投手陣だった。

ヤクルトは安田が先発に回り、松岡が掛け持ち、浅野が不振。全体としてはぱっとしなかった。先発、救援の掛け持ちはこの時期には難しくなっていた。

大洋、ヤクルト同様、100回以上投げる先発が5人。ローテーションの考えが定着しつつあったが、衰えの見える坂井、平松をはじめ。傑出した存在がいなかった。また救援陣も二線級だった。

そして巨人。先発投手陣の数字を見る限り、ローテーションが確立できなかったということはできよう。数年後に一本立ちする投手がまだ十分に実力を発揮できていない。 また救援投手を見ても、セーブの数字が3人にばらけているし、ホールドも分散している。芯となる高橋良昌の使い方にも問題があったのだろう。
巨人は長嶋引退後、打線が弱体化し、投手への援護点が減った。投手の不振の主因はそこにあったのだが、同時に監督長嶋の投手起用にも問題があるように思える。



私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください! ↓