tabatomoたばともさんデータ



セーブ制度が導入された歴史的な年である。しかし総体としては、投手起用法に大きな変化はなかった。 ただ導入元年だけに、セーブの解釈には混乱が見られた。

1974-RP-CL


tabatomo

1974年は、セーブの規定が採用された初めての年ですが 現在のルールよりも条件が厳しく違う点もあるため、現在ならセーブとして記録される 試合を”S+”の項目としてカウントしています。

リリーフ登板時の状況で

ランナーなし → 2点リード or 3点リード&1イニング以上の投球
ランナー1人 → 3点リード
ランナー2人 → 4点リード
ランナー満塁 → 5点リード

これらの条件で登板しリードを保てば、現在ならセーブがつきますがこの年はつきませんでした。

また、現在では完了を記録した投手にしかセーブはつきませんが この年では、完了を記録していない投手にもセーブがつくことがあり 今回該当する、阪急・足立、中日・星野、中日・竹田のセーブの記録から該当するものを削りこれらは全てホールドの条件に該当するので、それぞれホールドの記録に加えています。

投手が一度退避してまたマウンドに戻ってきた場合の試合数の処理ですがここでは、このようにしています。(これまで掲載された年もそうしています)

※先発→退避→リリーフの場合 先発の試合数には1カウントして、リリーフの試合数には1カウントしません。
(他の記録は、先発時とリリーフ時でそれぞれカウントしています。勝敗の記録は 優先順位を”先発での勝敗に該当>リリーフでの勝敗に該当”としています。 ※リリーフ→退避→リリーフの場合 リリーフの試合数に1カウントだけしています。 (他の記録は、全てリリーフ時の記録でカウントしています。)

Mark-New 

たばともさんの解釈によって、星野仙一のセーブ数は10ではなく9に。

しかし一応初代セーブ王になっている。

最多登板は大洋奥江の47試合だが、セーブは0、ほとんどが敗戦処理か、点差が空いた時の中継ぎ登板だったことがわかる。

この時期までは、救援投手は2回程度を投げるのが当たり前だった。

星野仙一だけでなく、水谷寿伸、鈴木孝政と、中日は好投手を救援に起用している。これが、巨人V10を阻止するのに大いに役立ったのだ。
星野秀孝も救援で30試合に投げているがセーブはゼロ、仙一とは持ち場が違ったのだ。

この年を起点に、救援投手の起用法は変化していく。しかし紆余曲折はなおも続いた。


広尾晃 野球記録の本、4/12、スポーツ報知に取り上げられました。アマゾンでも販売しています。
Sports Hochi-mini



私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください! ↓