わずか13勝しか挙げていないが、ホークスの歴史でこの投手を外すことは心情的にできないのではないか。
【キャリア】 佐賀県唐津市出身、唐津商業高、日産九州を経て94年ドラフト4位でダイエー入団。投手として活躍。2000年10月病気で死去。
【タイトル、それに準ずる記録】
●最多ホールド1
防御率10傑入り0・WHIP1.00以下0・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上0シーズン
【論評】
不幸にして現役中に死亡する選手は稀にいるが、この選手ほどの悲劇は少ないだろう。
先発から転向して、セットアッパーとして活路を見出し、キャリアハイを記録した直後に末期の肺がんであることがわかり、1年の闘病後、この世を去った。
本人には知らされず、周囲が懸命に病気を克服することを願ったが、奇跡は起きなかった。
細身だったが、向こう気の強い、向かっていく投球スタイルの投手だったと記憶している。
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99年の日本シリーズでは登板しなかったと思うんですよね・・・。ブルペンに名前はありましたが。
彼の背番号にちなんで、福岡ドームの15番ゲートは藤井ゲートとも呼ばれています。工藤や城島なども毎年墓参りするなど、選手にも相当慕われていたみたいですね。
ホークスが福岡にある間はずっと今のように15番を欠番扱いのままにしていてほしいと願っています。ホークス黄金期の始まりに貢献した選手だったのですから。
2000年の連覇達成時には、彼の背番号を付けたマスコットを手にした選手が歓喜の輪に入っていたことも記憶に残っています。