たばともさんデータ
パリーグでは佐藤道郎が16セーブ、25SPの大活躍。セの星野と同様、先発投手を上回る活躍をした。
3年目の佐藤は、先発4試合を含む64試合に投げている。ほぼ2試合に1度投げて、65勝の内勝に関わった。 星野と同様キャリアSTATSに、たばともさんのセーブ記録を加えてみる。網掛けが非公式のデータ。
佐藤はデビューから7年で5度最多セーブ。星野は以後、先発に転向したが、佐藤は最後まで救援投手だった。星野と並ぶパイオニアだろう(板東英二もいれるべきだろうが)。
巨人から移籍した田中章も代表的な救援投手だ。この投手はセーブ制度が導入されて2年目には成績を落としているから、歴史に埋もれているが、特筆すべき投手の一人だろう。
児玉好弘も懐かしい名前だ。ロングリリーフが専門で、典型的な打たせて取る投手。投げているのを見ると、ごく打ちやすそうな球だったが、なかなか打てない投手だった。この投手も6年と短いキャリアだった。
横山小次郎は前年イースタンでノーヒットノーランを記録して名前を上げたが、下積みの長い投手だった。数字は悪いが、良く投げていた。
板東里視ももう少しスポットが当たっても良い投手だと思われる。板東英二と同郷で1年後輩、20年にわたって近鉄で投げた。大部分は救援投手。弱かった近鉄を支えた投手である。
こういう記録を見ると、野球選手の評価をし直すべきだという思いがふつふつとわいてくる。
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パリーグでは佐藤道郎が16セーブ、25SPの大活躍。セの星野と同様、先発投手を上回る活躍をした。
3年目の佐藤は、先発4試合を含む64試合に投げている。ほぼ2試合に1度投げて、65勝の内勝に関わった。 星野と同様キャリアSTATSに、たばともさんのセーブ記録を加えてみる。網掛けが非公式のデータ。
佐藤はデビューから7年で5度最多セーブ。星野は以後、先発に転向したが、佐藤は最後まで救援投手だった。星野と並ぶパイオニアだろう(板東英二もいれるべきだろうが)。
巨人から移籍した田中章も代表的な救援投手だ。この投手はセーブ制度が導入されて2年目には成績を落としているから、歴史に埋もれているが、特筆すべき投手の一人だろう。
児玉好弘も懐かしい名前だ。ロングリリーフが専門で、典型的な打たせて取る投手。投げているのを見ると、ごく打ちやすそうな球だったが、なかなか打てない投手だった。この投手も6年と短いキャリアだった。
横山小次郎は前年イースタンでノーヒットノーランを記録して名前を上げたが、下積みの長い投手だった。数字は悪いが、良く投げていた。
板東里視ももう少しスポットが当たっても良い投手だと思われる。板東英二と同郷で1年後輩、20年にわたって近鉄で投げた。大部分は救援投手。弱かった近鉄を支えた投手である。
こういう記録を見ると、野球選手の評価をし直すべきだという思いがふつふつとわいてくる。
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64年都市対抗で8打席連続安打を記録した黒江幸弘(後の秀修、巨人、この大会では立正佼成会からの補強選手として日本鋼管で出場)は「都市対抗野球60年史」で「プロでもいろんな人と二遊間を組んだが古田さんは日本の最高の二塁手と、いまでもボクは信じている。」とコメントしています。黒江が言うのですから土井(巨人)」よりも日本鋼管の古田昌幸の方が巧かったのでしょう。通常殿堂入り表彰式はオールスターゲームで行われますが、故・古田昌幸の表彰式は都市対抗野球で行われました。古田昌幸のような人物に殿堂入りの評価を与える野球体育博物館(本年4月より野球殿堂博物館に改称)の姿勢を、私は高く評価しています。
結局のところ、評価をプロで残した数字のみに依存するか、オールニッポン野球として捉えるかの違いでしょう。因みにWBCのクローザー牧田も日本通運時代に都市対抗に出場しましたが2回戦で敗れており、日通浦和、日本通運時代を通じて都市対抗で優勝したのは田中章が橋戸賞を獲得した64年だけです。田中章と牧田はどちらの評価を上にするべきか、私は田中章に一票を投じますがいかがでしょうか。あのダイブは評価していますが。