たばともさんデータ
1970年の先発投手の成績についても見て行こう。
1970年の先発投手の成績についても見て行こう。
セリーグ
大洋の平松政次がキャリアハイの25勝を挙げた年だ。このうち20勝を先発で挙げている。
平松のシュートは長嶋茂雄をはじめ多くの打者を苦しめた。QS(先発で6回以上投げて3自責点以下)は30。ERAもWHIPも素晴らしい。
そして阪神の江夏豊も18勝(他に救援で3勝)。 これだけの成績を上げ、通算でも200勝を超えた平松と江夏が殿堂入りしていないのは全く不可解だ。
大洋、阪神は平松、江夏を大黒柱とする「エースシステム」だったが、巨人は堀内恒夫、高橋一三、渡辺秀武という近い力量の投手による「ローテーション」だ。
渡辺はこの年、ンーヒットノーランを記録している。 広島もローテーションを組んでいる。
パリーグ
ロッテの成田文男がキャリアハイの25勝。この投手もシュートが武器。また抜群のコントロールを誇っていた。今は忘れ去られた。一昨年物故している。
ロッテは成田と木樽、さらに精密機械と言われたコントロールを誇った小山正明という右の本格派3本柱が売りだった。私はこのトリオが好きだった。
近鉄の鈴木啓示は、安定した成績を残している。また阪急の石井、米田、東映の金田留など本格派投手が覇を競っていた。
なかなかの壮観である。
私どものサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください! ↓
大洋の平松政次がキャリアハイの25勝を挙げた年だ。このうち20勝を先発で挙げている。
平松のシュートは長嶋茂雄をはじめ多くの打者を苦しめた。QS(先発で6回以上投げて3自責点以下)は30。ERAもWHIPも素晴らしい。
そして阪神の江夏豊も18勝(他に救援で3勝)。 これだけの成績を上げ、通算でも200勝を超えた平松と江夏が殿堂入りしていないのは全く不可解だ。
大洋、阪神は平松、江夏を大黒柱とする「エースシステム」だったが、巨人は堀内恒夫、高橋一三、渡辺秀武という近い力量の投手による「ローテーション」だ。
渡辺はこの年、ンーヒットノーランを記録している。 広島もローテーションを組んでいる。
パリーグ
ロッテの成田文男がキャリアハイの25勝。この投手もシュートが武器。また抜群のコントロールを誇っていた。今は忘れ去られた。一昨年物故している。
ロッテは成田と木樽、さらに精密機械と言われたコントロールを誇った小山正明という右の本格派3本柱が売りだった。私はこのトリオが好きだった。
近鉄の鈴木啓示は、安定した成績を残している。また阪急の石井、米田、東映の金田留など本格派投手が覇を競っていた。
なかなかの壮観である。
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木樽と言えばシュートでしょう。成田の死を報じたスポニチに木樽のコメントが寄せられていましたが、「スライダーを教えてもらい『僕の恩人』」とのことです。得意のシュートに成田に伝授されたスライダーが加わったものと考えられます。
たばとも様
労作ごくろうさまです。西鉄に絞ってコメントさせていただきます。
70年の先発数トップが東尾だったのは正直驚きました。70年のエースは間違いなく河原でした。河原はロングリリーフが多かったのでこのような結果になっていたのですね。
新人にしてこの年西鉄から唯一オールスターゲームに出場した三輪もリリーフのイメージが強かったですが確かにルーキーシーズンは先発も多くありました。
乗替が10回も先発していたのも驚きです。当時の西鉄には左は乗替しかおらず、ショートリリーフのイメージが強かったです。
池永、益田、与田の名前も見られます。永易は既に失踪していましたが、池永、益田、与田が永久追放になったのは70年シーズンが開幕してから1ヵ月程後の事で、シーズン序盤は登板していました。
記憶だけに頼っていましたが、こうして数字で確認させていただくと新たな発見もありました。ありがとうございます。