tabatomoたばともさんデータ


1965年はNPBの歴史上、エポックメイキングな年だった。巨人の宮田征典が、クローザー専門で登板し「8時半の男」として注目されたのだ。 それがどれだけすごい出来事だったか、この年の救援投手の記録を俯瞰して見てみよう。

1965年のNPB救援投手の成績は、すでに紹介したが、たばともさんより、さらに詳細でなデータをいただいたので追加修正して再掲載する(旧ページは削除した)。
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この頃のリリーフ投手は、大半がビハインド時に登板し主力クラスのリリーフだと2、3点差で登板し、失点を抑えながら味方の援護を待ち逆転すれば勝ち投手、援護がなければ投げた回が多くなるだけといった役割。
主力でないクラスのリリーフは、大量点差での登板でいわゆる敗戦処理。
または、大量リードで主力を休ませるために登板するのが役割でしょうか。
ただ、この年の巨人・宮田、広島・竜、南海・杉浦、後半から中日・板東といった、勝ち試合でのリリーフ専任投手が出てきたというのは新しい事だったかもしれません。
でも、東映・尾崎のように、26完投で先発勝利が23勝、今でいうセーブも11というような数字を出せるのが一人前だという考え方が、この頃としては普通だったでしょうか。

セリーグ

1965-RP-CL

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宮田の記録が傑出している。67試合に登板して22セーブ、41SPは今でもタイトルのレベルだ。救援勝利が多いのは同点、ビハインドでの登板が多いからだろう。 竜、板東などもかなりのレベルだ。

この年巨人に移った金田正一、秋山登など大投手も救援登板している。


1965-RP-PL



セリーグに比べて分業制が進んでいないことが分かる。宮田、竜、板東のような存在はいない。 杉浦忠、米田哲也、小山正明、稲尾和久など大投手の名前が見える。

野球の歴史では、分業は「進化」の進み具合のバロメーターだが、セパでくっきりと進化のステップが違うことが見えてくる。当時、セリーグはパリーグよりも少しだけ「進んでいた」のだ。今は逆の印象があるが。

こういう形で昔の投手のセーブ記録を追いかけて行けば、投手の評価が変わってくるだろう。大変な作業だが。

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