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南海のエースと言えば「馬」こと藤田学。しかし、盛りは短かった。
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【キャリア】

愛媛県一本松町出身。南宇和高から73年ドラフト1位で南海入団。投手として活躍。86年引退。南海、オリックス、ソフトバンクコーチ。

【タイトル、それに準ずる記録】

・防御率10傑入り2・WHIP1.00以下0・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上4シーズン
新人王 オールスターゲーム出場3回

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【論評】

Mark-New

腰回りが太いがっちりした下半身、真上から投げ下ろすフォームは爽快だった。
英才教育を施され、二軍のエースとなって3年、満を持して一軍に上がるやいきなり11勝3敗、その登場は華々しかった。

速球に大小二つのカーブ、コントロールは良くて打たせて取るタイプだったが、球威はあった。 その後2年間もエースの活躍。打たれても、ランナーを背負って抑えきる勝負強さがあった。

野村克也は藤田を中心に投手力を整備することを考えていたが、77年にチームを追われた。 藤田は79年に右足内転筋を痛める。

また入団当初80kgそこそこだった体重が、優に100kgを超え、体の切れが無くなった。

81年にシーズン通して活躍するも、以後は故障がちとなり、南海最後の日を迎えることなく引退した。
引退後は投手コーチとして手腕を振るっている。

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