tabatomoたばともさんデータ

さて、野村克也の本塁打、投手別に並べてみよう。色が着いているのは殿堂入り投手。


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本塁打数657本で打たれた投手は180人。パの投手の歴史といってもいいかもしれません。 左右別では、時代的に左投手が少ない上に、パで優秀な左投手も少ないので右投手が多いのは当然ですが、右打者でこれだけ打っているのは凄いです。


投手別ですが、米田が1位でした。スペンサーと争った1965年は0本でしたが他の年に満遍なく打ってました。満塁HR1本サヨナラHR2本、米田から打っています。
他の上位選手でも、梶本、石井、足立、山田と阪急で時代を築いた投手が多いです。それだけ長く投げ続けた証でもあります。

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きっちり調べてはいないが、最年長投手は1925年生まれの大友工司や1926年生まれの荒巻淳あたりではないか。最も若いのは1956年生まれの村上之宏ではないかと思われる。

米田からは1957年7月14日に大阪球場で打って以来、1977年7月2日に日生球場で打つまで、実に20年の長きにわたって本塁打を打っている。好敵手とはこのことだろう。



シーズン最多は65年小山正明と67年鈴木啓示からの6本。大投手から本塁打をたくさん打つのは大打者の証明だ。
小山は王貞治、長嶋茂雄にもシーズン最多本塁打を供給している(王は62年、長嶋は63年、各7本)。
小山正明はONと野村にシーズン最も多くの本塁打を打たれた投手なのだ。それでいて320勝。歴史に残る強打者に堂々と勝負を挑んでいった、勲章のようなものだろう。

野村は金田正一、藤田元司、堀内恒夫、江夏豊など同時代のセリーグの投手とは公式戦で対戦していない。交流戦ありせばと思ってしまう。


たばともさんも言っているように、野村は右投手から多くの本塁打を打っている。右打者としては高く評価すべきだろう。

私は書店にたくさん並んでいる野村のビジネス本や、人生指南書の類には、まったく魅力を感じない。後付ならばなんだって言えると思うからだ。
それよりも、昭和中期の野村克也の打棒の何と輝かしいことか。人もまばらなグランドで、野村はこんなすごいことをやってのけたのだ。

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