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1959年の杉浦の活躍を月別、球団別先発救援別に見てみよう。
⇒杉浦忠
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月別の成績。 4月が不振で、5月以降立ち直っているのが良く分かる。
5月以降の数字はレベルが高いが、それでも8月までは1敗ずつしている。
8月には死球を6つも与えている。杉浦はこの年与死球王にもなっている。
サブマリン投手の宿命ともいうべきSTATSではあるが、これが9月には0に。70三振を奪ってわずか4四球、神がかったような制球力を見せている。
球団別の成績。

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この年、ライバルの西鉄は4位と低迷、大毎と東映が調子が良かった。
特に大毎は夏までペナントレースで南海と競り合った。
杉浦はこの3球団に先発することが多かった。鶴岡監督は強豪チームに杉浦を振り向けたのだ。
阪急、近鉄という下位球団には救援投手で登板することが多かった。
大毎にはかなり打ち込まれている。本塁打も葛城、榎本に2本山内など6本。西鉄は大毎を上回る7被本塁打しているが、決勝本塁打だけは1本だけ。

先発、救援別の成績。

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先発、救援それぞれの成績に分けても、現在では考えられないボリュームだ。

内容的には、救援した時の方がずっと良い。短いイニングでの集中力は抜群だったのだろう。

選手生活後半、杉浦は救援投手に回るが、元々の資質的には救援が向いていたのかもしれない。
現在ならば杉浦忠はクローザーとして活躍したかもしれない。



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