V9巨人のエースと言えば「堀内と高橋一三」。“えもんかけ”といわれた極端な怒り肩とともに懐かしく思い出される。

巨人時代の高橋一三投球の詳細
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【キャリア】

広島県府中市出身。広島北工業高から65 年巨人入団。投手として活躍。76年日本ハムに移籍。83年引退。巨人、日本ハム、巨人コーチを歴任。2009年から山梨学院大学野球部監督。

【タイトル、それに準ずる記録】

●最多勝1 ●最高勝率1 ●最多奪三振1 ○最多完投2 ○最多完封1
・防御率10傑入り5 ・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上9シーズン
最優秀選手2 沢村賞2 ベストナイン2 オールスター出場6回

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【論評】
幅の広い肩を振ってダイナミックな投球をした。球威があって、打者が打ち負けるシーンをしばしば見た。

器用な堀内とは対照的に、武骨で融通が利かなかったが、全盛期には堀内を上回る信頼感があった。荒れ球だった点だけは共通する。

V9最後の年、73年は高橋一三の年と言っても良かった。コントロールはかなり大雑把だったが、3ボールからでも勝負できる投手だった。ただ、真っ向勝負を挑む傾向にあったため被本塁打も多かった。

阪神戦は34勝17敗。これは堀内の48勝29敗には劣るが、勝率では上回っている。反対に中日戦は13勝20敗。得意と苦手がはっきりしていた。



「巨人の顔」の一人だった高橋一三が、富田勝とともに張本勲とのトレードで日本ハムに移籍したのは大きなニュースだった。

当時日本ハムは巨人と同じ後楽園をホームグランドとしており“都落ち”と見る向きが多かった。一時期は長嶋茂雄の後継者とされた富田勝が悔しさを押し殺して話していたのを覚えている。
巨人では富田の比較にならない大功労者だった高橋一三にとって、さらに大きなショックだったのは想像に難くない。

移籍3年目には腰痛に悩まされたが、技巧派投手として立ち直り、日本ハムの先発投手陣の一角として37歳までマウンドに立ち続けた。

ONの全盛期のセリーグから、工藤公康がデビューした80年代初頭のパリーグまで、NPBの変貌を見続けた投手でもある。

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