“アメリカではこんな野球をしているそうな”ということを端的に知らせてくれた投手。クローザーの遠祖と言うべき投手。
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【キャリア】
群馬県前橋市出身。前橋高から日本大学。通算24勝を挙げて62 年巨人入団。投手として活躍。69年引退。巨人、日本ハムコーチ、解説者、西武、巨人、中日、巨人コーチを歴任。解説者。2006年死去。

【タイトル、それに準ずる記録】

○最多登板1 
・防御率10傑入り1 ・WHIP1.00以下1 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上1シーズン オールスター出場1回 

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【論評】
肝機能に障害があった上、プロ入り後心臓疾患がわかり、長いイニングが投げられない制約のもと、救援投手としてマウンドに上がっていた。安定感のある投球をしていたが目立たぬ存在だった。

その宮田が一躍脚光を浴びたのは65年。「8時半の男」というニックネームで、69試合に登板、20勝4敗という成績を残した。セーブは19、セーブポイントは41と言う大活躍だった。69試合で164回。

今では考えられない過酷な登板回数だが、MLBでも分業が始まったころの救援投手はこのくらいは投げていた。
宮田はさして速い球はなかったが、伸びる直球をもっており、ランナーを背負っても平然としている強心臓もあって好成績を残した。



しかし、この酷使によって宮田の選手生命は一気に縮まり、後は目立たぬ投手に戻って30歳で引退した。

宮田は日本の救援投手の嚆矢とも言うべき存在だが、彼の後を歩む投手はしばらく現れなかった。その当時は、どちらかといえば「変わり種」という評価だったように思う。

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