大洋時代のこの投手は良く覚えている。エピソードの多い投手だった。
Chikara-Morinaka-P

【キャリア】

奈良県奈良市生まれ。奈良商工を経て1958年南海入団。投手として活躍。67年大洋、72年東映、75年大洋復帰、同年引退。中日コーチ。解説者。2008年死去。

【タイトル、それに準ずる記録】

●最高勝率1  ・防御率10傑入り1・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上6シーズン オールスター出場2

Chikara-Morinaka-B


【論評】

58年にテスト生として入団。59年にウェスタンリーグで防御率1位をとって注目された。

60年に1軍昇格。以後、先発、救援の両刀使いで活躍した。

63年はエース杉浦が2年連続で14勝と低迷、スタンカも14勝と低迷する中、チーム最多勝の17勝をあげた。 しかし、これがピークで、以後成績は下落。

66年には開幕投手をつとめたが、5勝どまり。 67年に大洋に移籍した。
この年も開幕投手を務め、キャリアハイの18勝を挙げた。

9月23日の阪神戦で、1回2死満塁で打席に立った森中は三球三振に倒れたが、この球がショートバウンド。捕球した捕手和田徹はこの球を森中にタッチせずベンチに引き揚げた。これを見ていたコーチの岩本尭は走者に「回れ」と指示。走者一掃となった。阪神はこれに猛抗議。藤本監督が大谷泰司主審を突き飛ばして退場となる騒ぎとなったが、阪神は判定を承服せず、放棄試合となった。セリーグではこれが最後の放棄試合だった(大谷審判は今年2月、物故した)。

なお、森中は投手には珍しいスイッチヒッターだった。
大洋時代は主戦級の投手だったが、巨人戦ではよく打たれていたように記憶している。


ラジオでの解説者として長く活躍した。関東地区の試合が中心だった。関西なまりはそれほど強くなかった。
丁寧な解説だったと記憶している。

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