王貞治はダイヤモンドグラブ賞を1972年から引退の年まで9年連続で受賞。それ以前はこの賞がなかったが、一塁手としても抜群の存在だった。 ⇒王貞治
『ON記録の世界』には、王貞治の守備記録も掲載されている。ここにはエラーの内訳まで載っている。これをベースに、守備範囲を示す簡易型のRF(レンジ・ファクター)をつけて見た。
Gは試合、TAは総守備機会(PO+A+E)、POは刺殺、Aは補殺。Eは失策。失策の内訳のGはゴロ、Tは送球、Fはフライ、Cは捕球)。DPは併殺。F%は守備率。

Oh-Fielding-01



ON記録の世界

ONkiroku


王はデビューの年から一塁手だった。 毎年ほぼフル出場をして、一塁を守っている。
守備率は1960年を除いて.990以上。守備でも完璧に近い選手だったのだ。

エラーも非常に少なかった。王の現役時代は、夜テレビを付ければ巨人戦のナイターをやっていたから、王貞治のプレーは毎日のように見ていたが、ゴロを弾いたシーンは記憶にあるものの、フライを落としたシーンは見た覚えがない。
それもそのはず、わずか6個しかないのだ。

1980年、引退の年の失策はわずか2個。守備率.99819は、1964年の阪神遠井吾郎の.99815を抜くリーグ記録だった。
この記録はのちに小早川毅彦(1993年.9986)、高木豊(1993年.9982)、新井貴浩(2008年.9988)に抜かれているが、40歳、引退の年の記録であることを考えれば驚異的だと言えよう。

そして、王貞治は守備機会も非常に多い。1963年にはTAは1607。RFは11.48。歴代の記録を調べたわけではないが、空前の記録だと思う。
近年の一塁手の守備の記録。

Oh-Fielding-02


守備率は高いが、守備機会は少ない。RFが9.5を超えているのは2012年の李大浩とフェルナンデスだけである。一塁手の守備機会は減っているのだ。

これは、1960年代に比べて奪三振数が20%ほど増えていることが影響していると思う。
また、途中交代するケースも増えているのだとは思う。
しかし、王貞治が抜群に守備範囲の広い一塁手だったのは間違いないだろう。
通算守備率では落合博満(TA9207 .995)、松原誠(TA14537 .994)に続く3位だが、僅差であり、守備機会の多さを考えれば、実質1位だと言ってよいだろう。

王貞治は、ほとんど休まなかった。
何しろ、22年の現役生活で、試合を欠場するような故障や怪我は16回しかなかったのだ。長期離脱は一度もない。不死身のような肉体で、打席にも一塁ベースにも立ち続けたのだ。

偉大なホームラン王、王貞治は偉大な一塁手でもあったのだ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください! ↓