南海史上最強の外国人投手。日本社会によく順応した選手でもあった。
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【キャリア】

オクラホマ州ハーモン生まれ。オクラホマ州立大を経て1950年ブルックリン・ドジャースに入団。53年シカゴ・カブスに移籍、59年シカゴ・ホワイトソックス移籍、同年MLB昇格。1960年南海入団。投手として活躍。65年退団。66年大洋入団。同年引退。

【タイトル、それに準ずる記録】
 
MLB
・防御率10傑入り0・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上0シーズン
NPB 
●最高勝率1 ○最多完封2
・防御率10傑入り3・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上6シーズン
MVP1回 オールスター出場2

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【論評】

MLBでは2試合だけ、初登板の1959年9月2日のデトロイト・タイガース戦ではアル・ケーラインを中飛に打ち取っている。
サディナとは同い年。どこで知り合ったのかは不明だが、このサディナの紹介で日本にやってきたと。
見上げるような長身だったが、どちらかと言えば変化球投手だった。

しかし、185cmあれば“巨人型”と言われた当時の日本人の中にあって、圧倒的な長身から投げ下ろす角度のある速球は威力があり、これに縦に落ちるカーブ(ドロップ)、スライダー、シンカーなどの変化球が効果的だった。

杉浦忠のように抜群の投球を見せるわけではないが、安定感のある投球。いわゆるイニング・イーターだったように思われる。

数字を見ていると、杉浦忠、皆川睦雄が先発と救援を掛け持ちして50試合以上投げるのが常だったのに対し、スタンカはほぼ先発に固定されている。大リーグスタイルの登板を鶴岡監督が容認したのだろうか。

ハロー、スタンカ元気かい?




1961年の日本シリーズ巨人戦第4戦でのエンディ宮本へのボールの判定を巡るトラブルでの乱闘が有名。
日本シリーズには61、64、65年の3度出場し、12試合に登板、5勝4敗、ERA2.15を記録している。

また、打者としてもパワーがあり、米マイナーでは22本塁打、NPBでも7本塁打している。

1965年に高校生の息子を神戸の自宅でガス中毒のために失ったことで帰国を決意。しかし翌年、大洋で1シーズン投げた。

OB戦で見かけたことがあるが、その長身が姿を現すと、一際大きな拍手が上がったのを覚えている。

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