日系以外で南海に入団した、初めての外国人投手。1年だけだが活躍をした。
【キャリア】
ハワイ朝日から1959年南海入団。投手として活躍。60年退団。
【タイトル、それに準ずる記録】
・防御率10傑入り0・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上0シーズン
【論評】
前年に入団していたカールトン半田と同様、ハワイから59年に入団。アマチュア出身でプロ経験はない。
オーバースロー、サイドスロー、アンダースローに近い投法まで、変幻自在だったと言われる。ワイルドピッチが多かったのは、そうした投法の影響もあったかもしれない。
59年の優勝の時は、カールトン半田とともにビールかけをし、鶴岡監督を風呂に投げ込んだと言われている。
ただし、日本シリーズでは登板していない。
1960年は、杉浦忠の酷使を考えて、外国人投手をもう一人補強することを鶴岡監督に進言、これもあってジョー・スタンカが獲得されたが、皮肉なことに本人は調子を落とし、スタンカに先発の座も奪われて、この年で退団した。
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「サディナの荒れ球が、大毎に効いた。杉浦はナイターには強かったが、デー・ゲームには弱かった。これをサディナがカバーした。」、「サディナからぼくの友人のスタンカはどうかと申し出があった。」とも書かれています。
ビールかけは宿舎の中野ホテルで行われました。まず杉浦がユニフォーム姿のまま風呂にほうりこまれ、続いて鶴岡が投げ込まれたと書いています。