1959年序盤に限れば、南海のエースは杉浦ではなくてこの祓川だったかもしれない。切れ味の良いシュートピッチャーだった。
masatoshi-Haraigawa-P

【キャリア】

大分県出身。大分商業から1957年南海入団。投手として活躍。62年引退。

【タイトル、それに準ずる記録】 ・防御率10傑入り1・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上1シーズン

masatoshi-Haraigawa-B

【論評】

1957年、大分商業から捕手の渡会純男とセットで南海に入団した。渡会は野村克也の控えで終わったが「あて馬」専門の選手として知られている。

祓川は足を大きく上げるダイナミックなフォーム。球速はそれほどではなかったが、球質は重く、シュートが内角をえぐる投球だった。


1959年は、開幕から調子が良く、4月の段階では杉浦より成績が良かった。
しかし後半には調子を落とし、杉浦に救援されることも多くなった。

翌年も先発の一角だったが、故障がちとなり、成績は伸びなかった。

1961年の日本シリーズでは、鶴岡監督はやや復調気味の祓川を第2戦で先発に起用したが、3安打1球を与え無失点ながらも2回で降板した。
第4戦では3対2とリードした9回裏に救援で使われたが、代打渡海に死球を与えて引っ込んだ。
南海は後続のスタンカが打ち込まれてサヨナラ負けしたが、そのきっかけは祓川の死球だった。

これで自信を失ったか翌年限りで引退した。23歳の若さだった。 

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください! ↓