NPBの昔の選手のSTATSを見ていると、やたら四球が多く、三振が少ない。
昔と今とでは、いろいろな部分が違うが、三振と四球の「価値」も大きく変わっている。これをデータで調べてみることにした。
リーグ戦が始まった1936年秋のシーズンから今年までのNPBの試合を、三振、四球の比率で調べてみた。
PAは総打席数。SOは三振、BBは四球、IBBは敬遠。NPBでは1955年から記録するようになった。BBの中にはIBBは含まれる。IBB導入後は、BBの数字はIBB分は割り引く必要があるが、導入前との整合性を重んじて、あえてこのままとした。 SO/G、BB/Gは1試合当たり1チームが奪われた三振と得た四球。SO/BBはご存じ三振を四球で割った比率。 少し長い表だ。 

SOBB-2012


戦前から1リーグ時代は、三振よりも四球が多いのが当たり前だったのだ。ボールの質も悪かったのだろうが、投手のコントロールも良くなかった。また、当時の野球は長打がほとんど出なかった。打者はチャンスを作るために四球を選ぶのが務めとされた。

セパに分かれてからもしばらくは四球と三振は同じくらいの比率だったが、1956年前後からSO/BBは2に近くなる。これはBBが減ったというよりSOが増加したためだ。
1957年には1試合当たりの奪三振が10の大台に乗る。四球は5前後だ。

1968年、江夏豊は401奪三振のNPB記録を作るが、これは実にセリーグ全体の奪三振数の8%にもなる。すごい記録であることがかる。 この頃からセリーグとパリーグの三振数の違いが目立ってくる。
セリーグの方が奪三振が多くなる。

もう一つ、1975年にパは指名打者を採用するが、これを契機に敬遠が激減した。投手が打席に立たなくなったからだ。

1986年、奪三振数が急増し、四球が減っている。これは、この年から新ストライクゾーンが導入されたからだが、セパでは変動のふり幅がかなり違っている。当時は審判は両リーグに分かれていた。セパでストライクゾーンの解釈が違ったのだろう。

90年代に入ると1試合当たりの三振数は12を上回るようになる。これはパワーピッチャーが増えたというよりも、変化球の種類が増えて、精度も上がってきたからだろう。 2002年には、またセパでストライクゾーンの見直しが行われたが、これによってまたSO/BBが跳ね上がっている。 そして2011年、統一球の導入とストライクゾーンの見直し。特徴的なのは、奪三振の数字はそれほど上がっていないが、与四球が減っていること。ストライクゾーンが広くなったことが、こうした結果を生んでいる。



かつて、小山正明は、精密機械と言われるコントロールを誇ったが、その通算のSO/BBは、3.23。今年の規定投球回数以上の投手の平均は2.73。パリーグだけに限れば、3.11。今の基準では、並みの投手ということになる。

野球の数字を見るときは時代の偏差を考慮しなければいけないのだ。

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