1936年7月1日、戸塚球場で開かれた連盟結成記念全日本野球選手権・東京大会で、巨人の1番打者として打席に入った打者である。対戦相手名古屋軍の投手はハーバート・ノース。
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【キャリア】
愛知県出身。享栄商業、立命館大学を経て1936年読売巨人軍の草創に参加。外野手として活躍。37年応召。40年復帰。47年引退。1990年死去。

【タイトル、それに準ずる記録】
規定打席以上1シーズン

【論評】
俊足巧打の外野手として巨人の初代1番打者となる。しかし翌年応召、復員した時には中島治康、呉昌征、平山菊二らで外野陣が固められており、控えに甘んじた。

syokuyakyu様

「日本職業野球聯盟広報」第四号(昭和11年7月25日発行)に掲載されているテーブルスコアによるとこの試合では4打数1安打2打点1犠打1四球を記録しています。
試合は9対8で名古屋に負けました。名古屋の先発はハーバート・ノースですがジョージ松浦 一義(ロサンゼルスからやってきた日系二世)がリリーフしていますので松浦とも対戦しています。

第1回日本シリーズとも言える昭和11年のタイガースとの洲崎決戦では第一戦不出場、第二戦七番センターで先発出場して4打数1安打1得点、第三戦は八番センターで先発出場して3打数無安打を記録しています。

「日本野球聯盟ニュース」第十一号(昭和12年1月25日発行)に「入営選手」として「林清一 三島野戦重砲第二連隊第六中隊第三班」と記載されています。「日本職業野球聯盟広報」は第九号(昭和11年11月25日発行)から「日本野球聯盟ニュース」に改題されています。

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