規定打席に達しなかったが戦前では稀な長打力を持った打者だった。
013-Noboru-Kitahara





【キャリア】
長野県出身。松本商業、立教大学、台連実業団を経て1941年南海に入団。内野手として活躍。応召し、戦没。

【タイトル、それに準ずる記録】
・打撃10傑入り0・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上0シーズン

【論評】
立教大学時代は強打の内野手として知られ、山本一人の好敵手だった。

41年は、国久松一、猪子利男ら内野手の控えに甘んじたが、リーグ打率.201チーム打率.195のときに0.333。
翌年は国久が左翼に守り、猪子が遊撃になって、二塁を守る北原が岩本義行の前の3番を打つようになった。打率は.249だが勝負強い打撃で活躍。

しかし8月7日を最後にスタメンから姿を消す。当時のエース神田武夫と同様、結核を患っていたという。マスクをつけて球場入りすることも多かったようだ。

後に応召されて戦没している。

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