OB戦などに鶴のように細い体で出場していた。解説者としても活躍。「ゆうこう」という名前が耳に残っている。戦後32歳でプロ入り。短い期間だが活躍した。
【キャリア】
大阪府出身、市岡中学時代に甲子園出場、早稲田大学を経て三井信託銀行。横浜金港倶楽部で活躍。50年西日本入団、解散に伴い翌年巨人入団。外野手として活躍。57年引退。巨人コーチ、解説者、日本ハムフロント(査定係)。
【タイトル、それに準ずる記録】
●盗塁王1
・打撃10傑入り1 ・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上4シーズン
ベストナイン2 オールスター出場3回
【論評】
50-53年は南村不可止。市岡中学は戦前、明星商業と実力を二分する名門校。高校野球の父、佐伯達夫も先輩にいる。
早稲田大学時代は2度の首位打者に輝く。当時から黒バットがトレードマークとなっていた。
銀行員となり、クラブチームで活躍。戦前はアマチュア野球を代表する名選手だったが、32歳にしてプロ入り。
長打力はなかったが、センスの良いアベレージヒッターとして好成績を残した。王貞治が登場するまで、巨人の背番号1といえば「黒バットの南村」だった。
少し前の「なんでも鑑定団」に、この選手の細身のユニフォームが出品されていたのを思い出す・
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【キャリア】
大阪府出身、市岡中学時代に甲子園出場、早稲田大学を経て三井信託銀行。横浜金港倶楽部で活躍。50年西日本入団、解散に伴い翌年巨人入団。外野手として活躍。57年引退。巨人コーチ、解説者、日本ハムフロント(査定係)。
【タイトル、それに準ずる記録】
●盗塁王1
・打撃10傑入り1 ・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上4シーズン
ベストナイン2 オールスター出場3回
【論評】
50-53年は南村不可止。市岡中学は戦前、明星商業と実力を二分する名門校。高校野球の父、佐伯達夫も先輩にいる。
早稲田大学時代は2度の首位打者に輝く。当時から黒バットがトレードマークとなっていた。
銀行員となり、クラブチームで活躍。戦前はアマチュア野球を代表する名選手だったが、32歳にしてプロ入り。
長打力はなかったが、センスの良いアベレージヒッターとして好成績を残した。王貞治が登場するまで、巨人の背番号1といえば「黒バットの南村」だった。
少し前の「なんでも鑑定団」に、この選手の細身のユニフォームが出品されていたのを思い出す・
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宇野光雄氏が慶應義塾大学に野球推薦なしで合格したのはコメントしましたが、南村氏も優秀だったようです。
昔から大学野球出身者には単位を残して中退しプロ入りという悪習慣が根強い中、南村氏は正規に早稲田大学を卒業して、銀行員になりました。
その昔、名アナウンサーと呼ばれた故・竹脇昌作氏が巨人軍の試合を実況した録音を聴きましたが、その録音の解説文を書いていたのが南村氏でした。