「5番打者」と聞いて思い浮かべるのがこの選手と関口清治。どちらも現役時代は知らないが、地味だが勝負強い打者という印象がぴったりだ。
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【キャリア】

大阪府東大阪市出身。日新商業を経て1943年南海に入団。外野手として活躍。59年引退。60-67年南海コーチ。2006年死去。

【タイトル、それに準ずる記録】

・打撃10傑入り4・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上13シーズン

ベストナイン1 オールスター出場3回

【論評】

42年12月に日新商業を繰り上げ卒業し、南海入り。日新商業の監督が、元南海投手の平野正太郎だった縁によるという。支度金300円、月給42円だった。

いきなり打撃10傑の10位に顔を出したが、翌44年9月に応召。45年10月に復帰して46年から試合に出ている。戦争によるブランクは結果的にほとんどなかった。

以後は山本一人、飯田徳治らとともに中軸を打った。それほど長打力はなかったが、勝負強い打撃で長く活躍した。

長身でがっちりした体つき。足も速く、外野手としても有能だった。

野村克也が台頭し、杉浦忠が奇跡的な快投を見せた1959年に引退。翌年から南海のコーチを務めた。

現役時代は知らないが、OB戦で顔を見かけた。息子の堀井和人も南海入りし、外野の控え、代走として活躍した。私の高校の先輩でもあり、印象が深い。風貌は親父さんにそっくりだった。

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