守備の名手として長く活躍した遊撃手。
【キャリア】
静岡県浜松市出身。浜松商、専修大学を経て61年に南海に入団。遊撃手として活躍。74年引退。南海コーチ。台湾野球コーチ。
【タイトル、それに準ずる記録】
・打撃10傑入り0・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上7シーズン
ベストナイン4、オールスター出場5回
【論評】
専修大学では古葉武識の3年後輩。同様に打てる遊撃手として鳴らした。南海入団後は外野に転向した広瀬叔功に代わって正遊撃手になる。
俊敏な動きと強肩で、リーグ屈指の遊撃手となる。打撃でも63年には22本塁打。投打の中心となることが期待されたが、強引に引っ張る打法から脱することができず、バントなどの小技も苦手だったために次第に下位打線に定着した。
しかし、69年に藤原満が入団し、70年に先輩の古葉武識が移籍してくると次第に出場機会が減少、以後は控えとなった。
通算打率.226は、打数4000以上の打者としては251人中最下位である。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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静岡県浜松市出身。浜松商、専修大学を経て61年に南海に入団。遊撃手として活躍。74年引退。南海コーチ。台湾野球コーチ。
【タイトル、それに準ずる記録】
・打撃10傑入り0・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上7シーズン
ベストナイン4、オールスター出場5回
【論評】
専修大学では古葉武識の3年後輩。同様に打てる遊撃手として鳴らした。南海入団後は外野に転向した広瀬叔功に代わって正遊撃手になる。
俊敏な動きと強肩で、リーグ屈指の遊撃手となる。打撃でも63年には22本塁打。投打の中心となることが期待されたが、強引に引っ張る打法から脱することができず、バントなどの小技も苦手だったために次第に下位打線に定着した。
しかし、69年に藤原満が入団し、70年に先輩の古葉武識が移籍してくると次第に出場機会が減少、以後は控えとなった。
通算打率.226は、打数4000以上の打者としては251人中最下位である。
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両者とも打力不足と見られがちも、チーム内の競争が激しい優勝争いの常連球団で、長くレギュラーを務めているのは、それを補うだけの優秀な能力があったことを証明しているようです。