実力以上に、その言動や生き方が共感を呼んだ、名物選手。

068-Kazunori-Yamamoto




【キャリア】

福岡県小倉市出身、戸畑商業から76年近鉄にドラフト5位で入団。投手から外野手に転向。82年解雇され翌年南海に入団。外野手、DHとして活躍。95年ダイエーを自由契約となり近鉄にテスト入団。99年引退。

【タイトル、それに準ずる記録】

・打撃10傑入り3・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上7シーズン
ゴールドグラブ1 オールスター出場5

【論評】

高校1年で留年したため4年かけて卒業。近鉄入団後、打者に転向して二軍では数字を残すも上に上げられなかった。要するに、組織になじめない人柄だったのだろう。

南海の二軍監督だった穴吹義雄に拾われてから、選手としての花が開いた。

話はそれるが、穴吹義雄は監督としては目立った成績を残していないが、多くの野球選手を見出して開花させている。名伯楽ではなかったか。

非常に人気はあったが、南海時代は左投手が打てなかった。投手出身らしく肩は良かったが、足が速いとは言えず、使いやすい選手ではなかっただろう。

ただ、大勝負に強く、その容貌も相まって、投手への威圧感はあった。

「ドラ」の愛称で、登場すれば球場がわいた。福岡に球団が移転した年は、門田博光が関西に残ったために、チームの中心打者だった。地元出身だけに、最大のスターとなった。

95年に負傷すると成績が急落、ダイエーを自由契約に。しかし引退せず近鉄に復帰。このあたりから人情話がついて回るようになった。

99年に近鉄を戦力外通告された時も、現役を続行しようとした。今、何人かいる「やめない中年選手」の走りだったかもしれない。

今は福岡を地場とするタレントである。

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