戦後派の巨人エース。サイドスローからホップする速球を投げた。動画は少ないが、美しいフォームだったようだ。
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【キャリア】

兵庫県出石町出身。大阪逓信講習所時代に甲子園出場。軟式野球を経て49年巨人に入団。投手として活躍。60年近鉄移籍。同年引退。近鉄、中日コーチを歴任。2013年死去。

【タイトル、それに準ずる記録】

●最多勝利2 ●最優秀防御率1 ●最高勝率2 

・防御率10傑入り5 ・WHIP1.00以下3 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上5シーズン

最優秀選手1 沢村賞1 ベストナイン1 オールスターゲーム出場4回 ノーヒットノーラン1回

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【論評】

軟式野球出身だが、球威のある球を投げた。プロ入り後、サイドスローに転向。これでコントロールが向上した。奪三振の多い投手ではなく、打たせて取る投球だったが、伸びのある速球で打者の懐を攻めるのが得意だった。めった大崩れしなかった。

強力な巨人打線の援護のもと、高い勝率を誇った。53年から55年の3年間で巨人のエースとして88勝27敗という驚異的な勝ち星を挙げた。これは、一つには2リーグ分立後の新興チームである広島や国鉄などから白星を荒稼ぎしたということがあるだろう。

無理のないフォームで安定感も抜群だったが、56年阪神小山正明の投球を右手の親指に当て、以後肝心のコントロールが利かなくなり、球威も落ちて、数年間苦闘するも引退に追い込まれた。死球禍の時点でまだ31歳。あと優に100勝はできただろうから、実に悔やまれるアクシデントだった。


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